天知探偵事務所研究支局

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# 韓程善「江戸川乱歩と映画的想像力―『火星の運河』を中心に―」
 

韓程善「江戸川乱歩と映画的想像力―『火星の運河』を中心に―」

『比較文学』(日本比較文学会)48号、2006年3月

 

 

【論旨】

江戸川乱歩の作品について、〈映画からいかなる影響を受けて〉〈小説のなかではどのように現れているのか〉について、〈1920年代の文壇における映画との相互交流の状況を確認し〉、〈現在まで公刊されていない乱歩の「映画論」を中心に、彼の映画趣味の有り様を検討する〉というのが、論の目的。

 

第一節では、乱歩が「二銭銅貨」でデビューした1923年を日本の映画史上の〈ひとつの大きな転換点〉として、1920年代を無声映画の成熟の時期としながら、乱歩の〈文学者としての出発と成長〉が時期的に重なることを指摘する。また、その時期の正宗白鳥や伊藤整の文章を引用して、1920年代の文壇で〈文学の対立項として〉映画を捉えていたことが当時の〈同時代的に共有された認識〉だとする。

 

第二節では、乱歩が映画監督を目指していた1917年から1918年頃に書いた五編の未公開の映画論に触れ(「写真劇の優越性について」のみ公開済)、乱歩の〈映画に対する熱情〉が、〈トリック分類のみに限ったものではなく、精力を尽くして映画論を真正面から論じようとした〉ものとする。

 

第三節では、「火星の運河」は1926年4月号『新青年』に発表されたが、草稿自体はデビュー前の1917年頃に書かれたことに触れて、その執筆時期が映画論を書いた時期に重なることを指摘する。そして、「火星の運河」の表現が、視覚的であることなどを理由に、無声映画との関わりを確認する。また、同じ時期に乱歩が谷崎潤一郎の作品を読み始めたこと、谷崎のエッセイ「活動写真の現在と将来」が発表されたのも、1917年であることを挙げ、乱歩が〈谷崎の小説に強く惹かれた理由のなかに〉〈映画という共通項が存在していたことも作用していただろう〉とする。

 

同節の後半では、乱歩が「火星の運河」について触れる時に「散文詩」という言葉を用いることに触れ、乱歩にとって「散文」と「散文詩」の違いについて分析する。「散文詩」とはまず〈同語反復の頻出や擬声語や擬態語の多用〉として、「火星の運河」の表現を確認する。また、〈もっと象徴的な意味が含まれている〉として、〈乱歩にとって、トリックと散文詩は、同じ領域に属する類似的なものとして見なされる〉とする。乱歩にとっては〈自然主義映画に対するトリック映画であり〉、〈文壇の私小説を中心とする自然主義的風潮に対する反射的ポーズとも相通ずる象徴的な意味であった〉と指摘する。乱歩が「映画いろいろ」(『文章往来』1926年6月)で引用するマルセル・レルビエ監督の映画「人でなしの女」を、乱歩自身が〈色と形の交響楽〉と捉えていることに触れて、乱歩が「人でなしの女」の〈画面構成に強烈な印象を受けた〉とし、〈形と色の表現に最大の重点を置く構成派映画的な方法が、「火星の運河」の展開にも強く影を落としている〉とした。

 

【感想】

全体的によく構成されて、展開の旨さが勉強になる論文である。

論旨を整理すると、それがよくわかる。

また、引用資料の見せ方が旨い。蓋然性の低いものから徐々に高いものを出してゆき、最後は説得されてしまうあたりには、計算尽くされたものがある。

 

とくに面白いのが第三節で、「散文」と「散文詩」の違いが、「自然主義」と「トリック」に対応してゆくあたりは、「二銭銅貨」の語りの問題にも接続してゆくかもしれない、と思った。

 

表向きには1920年代を論じるとしていながら、読んでいると1917−1918年のことが気になってきた。

乱歩が映画に夢中になった時期なのだが、乱歩の日記によれば谷崎潤一郎を初めて読んだのがこの頃とのことである。

個人的に知りたくて仕方がないのが、それ以前に発表された谷崎の作品を、乱歩がいつどのようにして読んだか、ということである。

そこはまた、自分で追いかけていこうと思うのだが。

 

乱歩が映画の画面構成に強く影響を受けていたというところも納得だった。

ただ、乱歩の考える「散文詩」の捉え方について、〈同語反復の頻出や擬声語や擬態語の多用〉とするのにはまだ疑問が残った。

「火星の運河」の文体で検証されたが、「火星の運河」に限ったことではなく、乱歩作品に一貫して用いられている文体のような気もする。

 

第二節も資料の紹介だけに終わったようなところがあるので、少し物足りないところもなくはなかった。

 

とりあえず乱歩の映画論「トリック映画論」(=映画論全体の総称)のうちの「映画論」、「活動写真のトリックを論ず」、「トリックの分類草稿」、「トリック写真の研究」はまだ未公開だったと思うので(要確認)、早く何らかの公開が待たれるところである。

 

また、マルセル・レルビエ監督の映画『人でなしの女』も大変興味深く、是非、見てみたいのだが、これはどこかで見られるのだろうか。

 

 

【主な参考文献】

田中純一郎『日本映画発達史機戞蔽羆公論社、1968年)

佐藤忠男『日本映画史 第1巻』(岩波書店、1995年)

『日本映画事業総覧 昭和3−4年版』(国際映画通信社、1928年)

権田保之助『活動写真の原理及応用』(内田老鶴圃、1914年)

ウィクトル・シクロフスキー『文学と映画』(原始社、1928年)

 

 

【韓程善さん】

東京大学の院の出身の方のようです。もとは村上春樹や太宰治について研究されていたそうですが、乱歩についても何本か書かれているようなので、とても興味深い。

面識はありませんが、今後も注目していきたいところです。

1920年代の映画についてもお詳しいようなので、教えていただきたいところがいっぱいあります。

浜田雄介さんとはお知り合いのようなので、そのうち交流できることがあるかもしれません。

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